遠回りしたら見えるものがある

スノーボードやスキー、サーフィンをマニアックに分析したい

Day28 朝里川スキー場は道場のようだった

f:id:fq12345:20210116200428j:plain

朝から強風

昨夜から嫌な予感がしていました。今朝は友達とキロロをスキーで滑る予定でしたが、どうも朝から風が強い。一旦、キロロまで行きましたが、結局ゴンドラと長峰のリフトが動いてらず、小樽天狗山に移動。しかし、ここもロープウェイが運休。リフトも運休。結局、朝里川温泉スキー場へ。ここはコースのバリエーションは豊富なのですが、リフトが遅く一年に一回くらいしか行かないのです。逆に最近どうなっているのか知りたかったので行くことにしました。

 

雨なのか、みぞれなのか、雪なのか

到着すると雨かみぞれか雪かよくわからない状態。今日は気温も高すぎた。レッドリフトで結構斜度のあるバーンを一本滑って足慣らしして、グリーンリフトとパープルリフトで一番上まで。地元スキー場なので、子どもたちのレースの練習等があり、コースは多少規制されていましたが、上部はいい雪でした。スノーボードだといいのですが、スキーだと斜度が緩くてちょっと物足りないので、グリーンリフト横の未圧雪コース、レッドリフトからアクセスできるオレンジコースメインに滑りました。べちゃべちゃでパウダーとは言い難く、重い未圧雪の多少ぐちゃぐちゃ、コブ付きのバーンです。非常に練習になる難しい斜度とコンディションで面白かったです!

 

スキーで未圧雪は上手く曲がれない

スキーではまだ未圧雪で上手く曲がれません。今日は、このスパルタな斜面でコツをつかむと決意して滑りこんでいきました。最初は、やはり内足がとられる、直進してしまう、後傾になる、でまともに曲がれませんでした。「踏み込んでジャンプする感じでターンをしている」、「シュテムターンのように曲がってもいい、この時テールを浮かすくらいで滑ると曲がりやすい」、「やはり外スキーに乗れないと曲がれないのでは」というアドバイスをもらい、体力がなくなるまで突っ込んでいきました。

 

途中で、斜滑降になる瞬間が少なく、早くスキーをまわそうまわそうという意識が強くて回転する力を失っていることがわかりました。そのため、外スキーを踏み込むのではなく、エッジを立てるだけになってしまい回転していかないので、内スキーも混乱してしまっていました。未圧雪では踏めないとスキーがたわまず、エッジを立てただけではエッジが埋まるだけで直進してしまうということが分かって、できない理由のひとつが明確に理解できたのが良かったです。

 

これに対して、まずは斜滑降の力をたもつために早回しをしないこと、その力を外スキーで雪面を踏み込むことに使うこと、内スキーはテールをあげるか、うまく行くなら外―スキーと同じように揃えて邪魔しないようにすること、反発が返ってきたらその力で切り替えと次の踏み込みを行うことを意識しました。結果、今日はじめに未圧雪に突っ込んだ時に比べると急斜面未圧雪でもスキーがターンを描くようになってきました。まだ、エッジを立ててしまってバランスを崩すことは完全になくならなかったですが、次への糸口にはなりました。下図は、パウダーも含めて未圧雪に対して今日得たポイントです。

 

f:id:fq12345:20210116200039j:image

ローカルスキー場のパンチパーマ

朝里川温泉スキー場は、昔ながらのスキーシーンが残っていました。今年は特にCOVID-19によってインバウンドでやってくる中国人もいなかったので20年くらい前のスキー場を思い出しました。特に、リフト係のおじさんがパンチパーマで愛想が全然なくて、でも途中でなんだか優しい気づかいを見せてくれるという風景は、あーー、あったなーと思い出しました。ローカルスキー場は観光地じゃないんですよね。あくまで地元の人たちが働き、地元の子どもや好きな大人が楽しむ娯楽の場所であったわけです。ホームのオーンズもその雰囲気はありますが、ちょっとこじゃれてしまった感があります。朝里川温泉スキー場の遅いリフトもまた、ノスタルジックでスローな時間を楽しむここだけの存在であるように思いました。

 

それにしても、朝里川温泉スキー場はコースも雪質もかなりハード、とても初心者向けではありません。一緒に行った小樽育ちの友人は小樽天狗山スキー場で育ったそうで、急斜面も未圧雪も意に介さずスムーズに滑り降りていきます。小樽天狗山は自分も滑ったことがありますがもっとハード。小樽っ子は、このような初心者に優しくないスキー場で小さい時から鍛えられていたのだなと実感しつつ、我が子どもたちの軟弱ぶりに、小樽の文化を継承させていないことにちょっと申し訳なさを感じました。

 

パンチパーマのおじさんのいるハードなスキー場。小樽のひとつの文化のようにも思います。