遠回りしたら見えるものがある

スノーボードやスキー、サーフィンをマニアックに分析したい

家事育児とは、専門職であると実感した

少子高齢化による働き手の不足を背景に、2016年女性活躍推進法の施行された。これまで、女性活躍ということについて、今思うと他人事であったと思う。

 

自分で事業を行っているので、仕事のない時は休み、仕事が多い時は休みなしになる。これまでも仕事が休みになると、掃除や皿洗い、子ども迎えは行ってきた。今は、これらは、やった気になっていただけと思う。

 

この一週間程、実家の緊急の用事で妻が帰省したので、家事と育児をすべて行ってきた。来週からの海外出張に向けて、終わらせないといけないこともいくつかある状態であった。食事と洗濯が、今まで行ってきたことにプラスされるだけと高を括っていたが、実は、この二つが追加されることで、大変さが激増することがわかった。

 

今まで行っていた掃除や皿洗いは、行う時間をこちらで決めることができた。しかし、食事は時間が決まっていた。当たり前のことだか、これはなかなか大変なことだった。自分だけなら好きなものを作って食べても、食べなくても良いが、子ども2人を含めるとその自由はない。朝は学校に間に合うように起こして、朝ごはんを食べてもらう必要がある。栄養も考慮しなければならない。相手は、子どもである。眠くて起きてこない時もあった。着替えるのを嫌がる時もあった。具合が悪いこともあった。好き嫌いもあった。夜は夜で、夜更かしにならないように、逆算してご飯を食べてもらう必要があった。リズムよくいけばいいが、不確定要素が多く、毎日、ロシアンルーレットのようだった。

 

洗濯はたまったらやればいいやと思っていたが、、子どもたちの学校にあわせてコンスタントに行う必要があった。ジャージや給食の用具、着たい服もあった。こちらは、学校のスケジュールや子ども希望を事前に把握する必要があり、どんなに眠くても、他の仕事があっても、前の晩には終わらせておかなければならなかった。朝でもいいやと思ったが、朝は朝で、朝ごはんの準備と子どもを滞りなく学校につれていくというロシアンルーレット化する大仕事が控えていたからだ。

 

家事育児に集中できれば、ある程度できるかもしれないと思った。しかし、仕事が入ってきたとき(自分の仕事は時間がくれば終わりというものではなく、終わるまでやらないといけないタイプの仕事だ)に、破綻した。終わらせたいのに、集中し始めたのに、ご飯と洗濯と掃除と皿洗いがやってきた。風呂の準備と寝かしつけというものもあった。これで、時間の拘束のある仕事だったら、この不確定要素の多い状態をどのようにマネージメントするのか、想像するだけでその辛さを実感できる。

 

学校にいけば時間がある、幼稚園や保育園にいれれば時間がある。とんでもない。常にロシアンルーレットのルーレットが回っている気苦労は計り知れない。

 

妻は介護の仕事をしている。時短であるが、朝は決まった時間に行かねばならない。

 

今回、妻の凄さを実感した。素直にそのことを伝えた。

「大変でしょ」と一言。本当に凄い。

 

申し訳ないし、感謝している。

 

妻はよく子どもに怒る。起こりすぎだと言うこともあったが、その気持ちも今は良くわかる。すべてが思い通りにいかず、怒りが突き抜けるような時があるのだ。

 

今回、子どもたちが変わった。娘は、お菓子を作るのが好きだったが、今回は、朝ごはんのパンを焼いたり、ご飯を炊いてくれたり、ベーコンエッグをつくってくれたりしてくれた。もちろん、お菓子もつくってくれた。息子は、お使いにいってくれた(ゲームをしたいからだが(笑))。掃除機を手伝ってくれたりもした。子どもたちも、親が一人いないということの大変さを感じていたのだろう。

 

普段は、これにもう一人末っ子がいるのだ(今回は、妻と一緒に実家にいった)。家族5人+犬。もう一度言いたい。

 

もう一度言いたい。妻はすごい。もっと大変な状態をコントロールしているのだ。

 

このマネジメントを考えると家事育児は専門職だと思う。女性活躍とは、男性は1つの仕事でいいが、女性は2つの仕事をこなせと言っているに等しい。妻が「女を殺す気か」とよく言っていた。まさにその通りだ。

 

多様な働き方があってもいいと思う。男性と女性が役割を入れ替えてもいいと思う。しかし、どちらかに、2つの仕事を押し付ける。それぞれに1.5の仕事を押し付けるというようなスタイルはそもそもがおかしいのではないかと思う。

 

それぞれが1つの仕事に集中できるような余裕なくして、少子化を止めることはできないと思う(もちろん、男性が家事育児もありだ)。

 

世のおじさん方よ。

一度役割を変えてみてはいかがか。

 

今日、近所のおばあちゃんに、大変だってことがわかりましたなんて、愚痴をこぼしていたら、「私は80歳になったら、ご飯づくりから引退したいんだよね」って言っていた。そうか。家事には定年がないんだ。

 

家事を行う責任を全うする。大先輩をみて、また尊敬が生まれた。